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**** JRでカトマンズ…それとも自転車で?

朝鮮南北会談が今日始まった(2000.6.13)。
北朝鮮が会談に臨む動機として最大のものは、何と言っても新たな経済的展開への期待だろう。

話は飛ぶが、「観光」にとって最も重要なインフラは「平和」である。
短期的な紛争だけが観光にとってマイナスとなるのではない。
国境そのものが、旅行者や旅行業界にとってわずらわしいものとなっている。
国境は隣接国家の長期的な紛争の証しと言えなくもない。

国と国との関係は、地図で鉄道線路のつながりで見てみると視覚的に理解できる。
ユーロ経済をスタートさせたヨーロッパでは、ユーロトンネルも開通(1994.5.6)し、イギリスからヨーロッパ全土のみならず、シベリア鉄道で極東まで来れる。
ユーラシア大陸におけるアジアの主要な国々の方では、中国、インドの大国はそれぞれ大鉄道網を擁している。両国の間のミャンマーで鉄道は途切れ、西へ行くと、イランで途切れる。イランでは、中国から中央アジアを経て来る線を合わせトルコに向かい、ここでヨーロッパ線とアフリカ線に分かれる。
北アフリカでは、リビアで途切れるのみで、ジブラル海峡を海底トンネルでモロッコとスペインをつなげば、地中海を一周する鉄道も可能だ。

とすると、既存の鉄道を繋いでいけば、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを結ぶ大環状線ができる。
北の幹線を、ロンドン―パリ―ベルリン―ワルシャワ―ミンスク―モスクワ―イルクーツク―ウランバートル―ペキン―ソウル―(対馬経由)東京とする。
南の幹線を、ペキン―クンミン―(ダージリン)―(パトナ)―デリー―ラホール―テヘラン―カイロ―アルジェ―(ジブラル海峡経由)マドリード―パリとする。
また、南アフリカ線として、カイロ―ナイロビ―ケープタウン。オーストラリア線として、クンミン―バンコク―シンガポール―ジャカルタ―シドニー(ちょっと無理がある?)の各線も考えられる。
(めちゃくちゃついでに、ケープタウンからの線とシドニーからの線を南極で結んで南米―北米―ベーリング海峡―千島列島―東京…というのはやはり荒唐無稽すぎか。それに、こんなところを結んでもあまり意味がないだろう。)
これらは、北の幹線を除いて、ハイウェイとすることも可能だろう(あるいは並行して)。
また、北の幹線をハバロフスク方面から間宮海峡―樺太経由にして、東京終点。南の幹線を、東京から対馬経由ソウル―ペキンとする案も考えられる。

さて、北朝鮮がこのような構想を念頭に置き、日本とユーロやアジアの主要国を結ぶ要所にピョンヤンが位置することによる利権を把握し、それから派生するさまざまな経済効果を十分認識しているなら、そして同様の位置にあるロシアや中国が後押しするなら、以外に早く南北統一も実現するかもしれない。

いささか単純過ぎるそしりも免れないが、「経済」は「政治」より、国境をもろくする力があることは否定できないだろう。

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このページの標題に戻ると、上で(ダージリン)―(パトナ)としたが、このインドのパトナから北に線を延ばすと、カトマンズとなる。これで、JRでカトマンズ、というのもご理解願えるかと存じます。
「ネパールへの道(地上交通)」が実現するまでの、さまざまな政治問題をクリアしていく「道」は、「ネパールへの道」そのものより、果たして大変な道なのだろうか?

ヒマラヤ登山にこんな鉄道やハイウェイを利用するのは実際的ではないが、旅行や貨物輸送には極めて重要だと思うのですがいかがでしょうか?

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1995.10.16、スウェーデンの登山家―ガーラン・クロップは、エベレスト単独登頂を目指して、装備一式を積んだ自転車でストックホルムを出発した。
途中、ルーマニアで盗難、イランとパキスタンでは暴行…といった被害を受けながらもカトマンズに辿りつき、1996.5.1、エベレストのベースキャンプを出発した。
1996.5.3、午前0時にサウスコル(7980m)を出発。
新雪の為はかどらず、午後2時に8750m地点に達した。
午後2時というのは、登頂後下山すべきタイムリミットである。これを過ぎると、明るいうちに、最終キャンプであるサウスコルに戻れない。
頂上まで、高度差100m、あと1時間で登頂というところで、この29歳の登山家は、賢明な勇気ある決断できびすを返し、下山した。
多くの犠牲を払ってあと一歩というところまで来ていながら、天候も悪くないまたとない条件で、こうした判断を冷静にくだせるということは、並みではない。
いかにも、ストックホルムから着実に自分の足でやって来た男の真骨頂というものだ。

この数日後、アメリカの公募隊等の12名(日本人1人を含む)が、登頂後遭難死した。
公募隊の多くが、無理を押して午後2時を越えて登頂し、その後の天候急変の中、暗闇を彷徨することになった。
彼等にとっては、700万円という参加費を払っての生涯で何回も試みることはほぼ不可能な機会である。また、有能なガイドがついている、という真に自力ではない試みゆえ、適切な判断が下せない。
この時、生還したガイドのブクレーエフはのちに、顧客をほうりだして自分だけさっさと下山したと非難を受けた。


(2007.11.07追記)

2007.11.01 の日経新聞で、「東南アジア・中国 縦断鉄道網構想が始動」という見出しの記事が出た。

新設ルートは、ベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンまでと、カンボジア国境内のタイ国境までの間。
これで、中国の昆明からバンコク〜シンガポールまでつながる。(他に、ラオス〜ベトナム間)

ミャンマーが民主化されれば、バングラディシュからインドへの鉄道敷設に大いに期待が持てる。
北朝鮮を含め、最近の政治情勢はあっという間に転換することもありうるので、ネパールへの道はそんなに遠くないとも思う。

Mt.EVEREST

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