エベレスト |
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エベレスト・ノースコル登山レポート 2013.4〜5月 by H.S.A. 森崎 |
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チベット側、エベレスト北稜ノーマルルートのノースコル(約7000m)までの登山です。 |
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2013年4月12日 | |||||
登山にあたって、ボダナート寺院付近のお寺にて安全登山の祈願をした。 ボダナート寺院の周りには多くの信心深い人たちがお祈りをしながら回っている。奇数の回数を回るのがいいらしい。 試しに回ってみたが、1周4分かかり、30周ほどで2時間を要した。 この円周の内側では、五体投地を繰り返す多くの人がいた。 スワヤンブーナート寺院のほうは円周がずっと長くて、1周1時間以上かかる。 |
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4/11 カトマンズ→コダリ→ザンム | |||||
早朝4:00起床。5:10カトマンズ出発。チベット国境に向かう。 バクタプールまで、日本により建設された広い道路を走る。 ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーの車に登山メンバーとガイドの1部が乗り、併走する荷物を載せたトラックに他のガイドとコックが便乗。 途中、ドゥリケルのホテルで朝食。シシャパンマが見える。 |
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バラビセのあと、深い険谷にかかる吊り橋でバンジージャンプを楽しむ西洋人たち。 このあと、Tatopani(温泉)がある。 次第に道は悪路となる。土砂崩れの箇所もある。崩落直後であればポーターによる荷役料、向こう側に待機する車の手配に結構な費用がかかる。 コダリまでは、途中、何回も警察の検問がある。中国では生産できない(赤)ビャクダンが高価に売れるので、インドやタライからの密輸があとを絶たない。蛇の道は蛇、ここを通過するのに便宜を図る業者もあるとか。 10:05 コダリ着。 谷沿いの危なっかしい斜面に多くのホテル、レストラン、商店が立ち並ぶ。 川の上流に見える町がチベット側の町ザンムだ。 一部の許可車以外の車は、国境を越えて進めない。隊員やガイドたちは歩いて入境する。 トラックの荷物は、写真のポーターたち(主に女性)が担いで国境を越える。 運搬料は20kg、1個、1000ルピーだ。わずかな距離なのでいい仕事だと思う。 これらのポーターはレストランの主人が手配し、主人自ら荷のリストを持って中国側まで同行する。 彼らの入管通過はスムースだ。ただ、ダライラマの写真や思想的政治的に問題ありと判断されるものが見つかったりすれば、検査は非常に厳しくなり、所要時間が大幅に増す。 国境とは何だろうか? 一体誰にとって国境は大事なのだろう? 国境のない世界がくることはあるのだろうか? 国境の橋を渡る(左写真)。橋の真ん中に線が引いてあり、それが国境で、そこに中国側の役人か軍人が立っていてパスポートをチェックする。 入国は比較的スムーズにいった。個人の荷物では本を入念にチェックしていた。トラックの遠征隊の荷では、野菜、卵、チーズ、魚の缶詰、ガソリン、灯油等が持ち込み禁止でここで没収される。だいたいにおいてチベットにあるものは持ち込み禁止と思えばよい。 入国審査の建物を出ると、両替商のおばさんたちが寄ってくる。 ポーターが運んでくれた荷を、待っていた中国山岳協会のトラックに乗せ換える。 右写真は隊員・ガイドが乗るトヨタのランドクルーザー。 中国側に入るととたんに道路も車も建物も良くなる。しょっちゅう停電するネパールとは違って電気事情も良いようだ。 左写真が宿泊したホテル。(ザンム2350m) ザンムの町はS字状に上っていく道路に沿って建てられている。下の建物が上の建物の擁壁になっている。 |
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4/12 ザンム→ニェラム | |||||
朝食後にリエゾンオフィサーに、政治的等に問題のある文書その他のものを持ち出したりしない旨の書面にサインし、デポジット$500を支払う。 |
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4/13 ニェラム滞在 | |||||
町の西側にある丘(4700m)に上って高所順応。上り3時間、下り1時間。 30 町はずれの寺院の横から、白い山に向けて登る。 4700mからシシャパンマを臨む。 |
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4/14 ニェラム→ティンリ | |||||
ニェラム8:45発。 ニェラムの出口で早速検問。 ニェラムは官公庁の建物が多い。 道路は少しづつ高度を上げていく。 両端をコンクリートで固めてあり、中央のアスファルトも厚みがあってしっかり造ってある。 38 前方にシシャパンマが見える。 ここが峠、標高5000m余り。 緩やかに下っていく。 ティンリ手前でエベレストが見えてきた。左から順に、エベレスト、ギャチュンカン7952m、チョーオユー8201m。 ティンリ10:30着。 45 HA HOO HOTEL 泊 井戸水を使っている。 食堂では、西洋人のエベレスト隊、チョーオユー隊が一緒に食事する。 食事は白菜・青菜などの炒め物、卵とトマトの煮たもの、青豆と唐辛子の煮物、キクラゲ・シイタケ・豚肉の炒め物、それに日本では餌米にランクされるような米(ネパールでの様な長粒種ではない)。 道路はどこでも広い。 乗り物は、通常の乗用車、トラックの他に、馬車、耕耘機・トラクタ・バイクに荷台をつけたものなどが走っている。 「SUZUKI 鈴木」の看板が上がっている。 天井から肉がぶら下がっている。 農業用オイルその他を扱う店。 スキもある。 ナタネか何かの油を搾っている。 ホテルの背景には広大な平原や山々が広がる。 子供たちは学校帰りか。 ネパールでも甘いものを食べるようになって虫歯の子が多くなった。 エクスペディション用の野菜と卵を仕入れる。インゲン、シシトウ、キューり、トマト、ナス、ウリ、スイカ、チンゲンサイ、ホウレンソウ、ハクサイ、キャベツ、カリフラワー、セロリ、コリアンダー、ダイコン、ジャガイモ、ショーガ、ニンニク、等々ほとんど必要な野菜はある。果物は、バナナ、リンゴ、ナシ、キウイ、西洋ナシ、等があった。 1万円ほど購入した。寒冷地なので、日本並みに高いものもある。 63 長ネギ、長芋、葉ニンニク、ニラなど。 豆腐、葉ネギなど。 その他、豆板醤、ラーメン、塩、トウガラシ、肉類、ぼんち揚げなどの煎餅、飴、チューインガム、等々遠征に必要なものは揃う。 |
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4/15 ティンリ滞在 | |||||
今日は東の丘4700mに登って順応した。 9:35発、頂上10:55着。ティンリに11:55に戻る。 左の川と右側の町の高さが同じなので、堤防が築かれている。どの山も木がなく、土砂が流出して、天井川になっていくのだろう。 川の水も凍っている。午前中は部屋のトイレの水も凍って流れない。 国道(友好道路)を東に向かうと北側に向かう道の入り口に温泉まで30qの標識がある。 丘に登るにはそのずっと先にある標識(右写真)のところを右折する。 その右折する道は、エベレストBCに向かう道ともなるが、翌日に我々の取った道と先で合流するようである。いずれも未舗装である。 上記写真では、ベースキャンプのことが「大本営」となっているのが面白い。 松代大本営は天皇のBCか。 左写真のところから左の斜面に上る。 頂上からはエベレスト、ギャチュンカン、チョーオユーが見える。かなり遠い。 羊が放牧されている。 ビリヤードの店で1ゲーム楽しむ(2元)。雨がないので屋外である。 路上にはたくさんの野犬がいる。2,3日前にヨーロッパ人女性が咬まれた。ここには病院も薬もない。すぐにチャータ車にてザンムに戻り、同時に電話でカトマンズから医者を呼び寄せ、狂犬病の注射をしてもらった。すべての費用:$4000也がかかったうえに、ケガの完治に日数を要し、隊に合流するのが遅れ、登頂も危ぶまれる。 野犬にはくれぐれも注意したい。1人では決して出かけないことだ。やむを得ない場合は、ステッキでも持って歩こう。 ティンリのみならずニェラムでも要注意だ。 なぜ咬んだのかとガイドに聞いたら、「我々(ガイド)のようにチベット人ふうのものは普通咬まれない。きっと見慣れないLookingに恐れをなして咬みついたのだろう」とのことだ。 特に秋には、この通りではヤクなどの肉の市ができるので、そこらじゅうの野犬が集まるとか。 78 左のコンセントはチベットのもので、日本の差し込みがそのまま使用できる。右はネパール用のコンバータ。 |
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4/16 ティンリ→エベレストBC5200m | |||||
ティンリの道路脇の街の真ん中あたりから南に向かってしばらくするとエベレストBC(左)とチョーオユーBCの分かれ道に出会う。 82 この未舗装道路は、時に凍った氷の上を走ったり、がれ場の悪路となる。4輪駆動でなければ難しい。 馬車で荷を運ぶ人たちが途中で飲み物をとっている。登山者のみならず、この乾燥した高所では常に水分は必要だ。 いよいよ姿を現したか、エベレスト! なるほど巨峰の名にふさわしい。 ベースキャンプは近い。最後のチェックポストだ。 エベレスト・ベースキャンプ・トレッキングのお客さんたちのバスはここまでだ。 トレッキング客は右写真の小高い丘まで歩く。丘の向こうにベースキャンプのテント群が一望できる。 もちろんエベレストの雄姿は手に取るようだ。 ここには立派なトイレがある。世界屈指の観光地だから、チベットにしては力の入った建物だ。 最終チェックで人員照合して、BCに車で入る。 我々のキャンプはどこだ? やたらと大部隊が多いぞ。 これが我ら隊員2名の小部隊。 ドライバーさんは、これから友好道路に戻って一路ラサに向かう。 95 こちらは最大の隊員を擁する中国隊。 |
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4/17 エベレストBC | |||||
今日もいい天気だ。 スタッフは、BC以上にヤクで運び上げる荷の仕分けに忙しい。 |
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4/18 エベレストBC | |||||
今日は高所順応に東の丘5700mまで上る。 中国隊、アメリカ隊、ロシア隊、スイス?隊、その他インターナショナルグループが2隊、そしてわがヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーの日本隊。 BCの下のほう(右写真)には、遠征隊が入るときに営業されるレストランがある。 わずかな雪解け水を利用する。雪の左下にトイレが見える。 左はキッチンボーイのソナムさん。ふけて見えますが、37歳です。風雪に耐えた味のある顔をしています。ヤク3頭、ヒツジ200頭以上、ヤギ100頭以上所有しています。右耳うしろの白いリング状の髪飾りは人造象牙製だとか。両耳の緑の石はトルコ石。 右写真はキッチンテントで調理するコックのリンジ。 リンジがニェラムで買い物をするとき、数人のキッチンボーイ志願者がつきまとってきた。そのうちの1人をリンジが雇って連れてきた。ソナムはABCまで同行する。 あとで聞いた話が、ソナムは兄弟4人で1人の妻を共有しているとか。 |
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4/19 エベレストBC | |||||
今日は、安全を祈願するプジャを行う。 |
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4/20 エベレストBC | |||||
109 ずっと晴れ続きであったが今日は曇り空で寒い。 ABCに向かう隊の荷物がヤクによって運ばれる。 途中積雪があるようだ。 ヤクの話をガイドから聞いた。 エクスペディションや交易の仕事の時などは、ヤクの食べ物は路上の草の他、塩やツァンパ(麦こがし)を与えるそうだ。 仕事のない時は山に放牧される。食糧は山の草でいいのだが、1週間に一度くらい、飼い主が塩を与えに行く。遠くに散らばっていたヤクが、飼い主が決まってくる日時を知っていて、必ず同じ日時の同じ場所に塩を舐めにくる。 普通は大人しいヤクではあるが、ひとたび怒れば怖い。一度タンボチェでガイドがツノに刺されて殺された。あとでガイドの父親がそのヤクを銃殺したとか。 ここチベットでは、ヤクの値段は、1頭150万円ほどするらしい。 |
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4/21 エベレストBC→インテリム・キャンプ | |||||
リエゾンオフィサーが、ロープフィックス料、1人当り$400徴収にきた。シェルパからの徴収はない。 ヤクの運搬料もリエゾンに支払う。追加費用$1000($200×ヤク5頭) 111 天秤で重量を図る。 荷造りができたらインテリムキャンプに向けて出発。 インテリム(中間)まで6時間。 |
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4/22 インテリム・キャンプ | |||||
ABC方面2時間のところ5900mまで行って、インテリムに戻る。 インテリム・キャンプ。 右は大きなグループ(ロシア隊) 後方にエベレスト。 氷河のセラック |
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4/23 エベレストBC | |||||
BCに戻る。所要3時間半。 |
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4/24 エベレストBC | |||||
休養 | |||||
4/25 インテリム・キャンプ | |||||
4/26 エベレストABC | |||||
いよいよアドバンス・ベースキャンプ。ここまでくると核心部に入ってきた感がある。 119 最初のキャンプが見えてきた。 我々のキャンプは最奥にある。 |
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4/27 エベレストABC | |||||
ABCの最低気温はマイナス10度ほど。 | |||||
4/28 エベレストABC | |||||
4/29 エベレストABC | |||||
ノースコルの壁下まで往復。 ABCからのエベレスト 反対側にラクパ・リがそびえる。 後ろがノースコル ノースコルへの登攀基部まではゆるやか。 ここから急な登りとなる。 125 クランポン・ポイントに戻る。ガイドたちは何回も往復するので、ここにクライミング・ギアをデポする。 エベレストからの北稜を辿って一番低いところがノースコル。 |
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4/30 エベレストABC | |||||
休養 | |||||
5/1 エベレストABC | |||||
休養 | |||||
5/2 エベレストABC | |||||
ノースコルに行く予定が、降雪のため延期。 | |||||
5/3 エベレストABC | |||||
強風のため、再度延期。 |
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5/4 ノースコル | |||||
ノースコル、ビデオ ノースコルからの下り、ビデオ |
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5/5 エベレストABC | |||||
5/6 エベレストBC | |||||
5/7 ザンム | |||||
5/8 カトマンズ | |||||
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HSA 森崎
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2013.6. 作成 | |||||
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